ボルジギン フスレ
Borjigin HUSEL
ボルジギン 呼斯勒 所属
国際学部 国際学科
国際文化研究所 所属教員
生活機構研究科 生活文化研究専攻
生活機構研究科 生活機構学専攻
職種
教授
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言語種別 | 日本語 |
発行・発表の年月 | 2022/03 |
形態種別 | 学術雑誌 |
標題 | チンギス・ハーンの長城に関する伝説についての再検討 |
執筆形態 | 単著 |
掲載誌名 | モンゴルと東北アジア研究 |
掲載区分 | 国内 |
出版社・発行元 | 風響社 |
巻・号・頁 | Vol.7,75-82頁 |
概要 | 本論文は先行研究を踏まえ、G. ポターニンと西清、コルマゾフ、V. V. ポノソフが記録した「チンギス・ハーンの長城」に関する伝説を整理し、検討した。
G. ポターニンの記録した2つの伝説とコルマゾフが記した最初の2つの伝説は今でもモンゴルと内モンゴルに広く伝わっている。V. V. ポノソフが記録したある若いダウル人が語った物語は不完全なものであるが、ダウル人との関係についての説明は興味深い。V. V. ポノソフが収録した二つ目の伝説は、ダウル人、エウンキ人の間に伝わっている物語であり、女性の役割が強調されていることは、注目にあたいする。実際、ダウル人はこの遺構をエルヘ(Erüke)と称してきた。「チンギス・ハーンの長城」は、契丹の遼(916~1125)、タングートの西夏(1038~1227年)、女真の金(1115~1234年)の三つの時代にわたってつくられた遺構であるが、その内の嶺北ラインについて、遼代創建説が主流になっている 。ダウル人の文化は、契丹と近いと考える研究者は少なくない。「チンギス・ハーンの長城」の誕生は、極東地域における多民族、多勢力の力の均衡によるものであり、その謎に迫るには、今後、さまざまな視点からのアプローチが必要である。 |