ヤマダ ナツキ    YAMADA Natsuki
   山田 夏樹
   所属
人間文化学部 日本語日本文学科
 
近代文化研究所 所属教員
   職種
准教授
言語種別 日本語
発行・発表の年月 2020/03
形態種別 学術雑誌
招待論文 招待あり
標題 三島由紀夫「橋づくし」の批評性―差別と模倣
執筆形態 単著
掲載誌名 物語研究
掲載区分国内
出版社・発行元 物語研究会
巻・号・頁 (20),207-196頁
概要 近松門左衛門「心中天網島」(一七二〇)の「名残りの橋づくし」をエピグラムに引く三島由紀夫「橋づくし」(「文芸春秋」一九五六・一二)は、四人の女性による、七つの橋渡りの願掛けを描いた短編である。「心中天網島」では、此岸から彼岸への擬似的な渡河という「死」への儀式が展開される。一方、パロディとしての本作では、従来、願掛けの儀式のゲーム性が指摘されてきた。実際に、メタ的な性質の色濃い本作においては、読み解いていく先行研究自体が儀式、ゲームをその都度なぞるような趣がある。そこで問題とされてきたのは、四人の女性のうち、唯一、内面が明らかにされない「みな」の願い事とは何か、ということである。本稿では、そうした反応を生み出し続ける「橋づくし」という行為の模倣性の意味を分析し、戦後から現在に至るまでの差別的なあり方を浮彫にする本作の批評性について検証する。模倣という行為に見られるように、シミュラークル化する消費社会以降、他者のありふれた欲望を自分の欲望とすることが全面化する社会において、願い事の「見当のつかない」存在に興味、関心、不安、恐怖を抱く登場人物や読者は、実態としては「みな」との差異を通して、自身らのあり方を突きつけられている。そこで浮彫にされているのは、自身らがコピーのコピーに過ぎないということだけではなく、「尋常」な欲望では測れない「見当のつかない」存在を、排除しようとする差別意識である。そして本作では、願掛けの儀式の終了後も「ゲーム」が継続し拡大する感覚が描かれる。そこに、読まれる度にゲームを追体験し、同時に「みな」とは何か、そして戦後日本が排除してきたものは何か、という疑問を抱かせ続ける要素、現在に至るまで射程の及ぶ本作の視点を見出すことができる。