ボルジギン フスレ
Borjigin HUSEL
ボルジギン 呼斯勒 所属
国際学部 国際学科
国際文化研究所 所属教員
生活機構研究科 生活文化研究専攻
生活機構研究科 生活機構学専攻
職種
教授
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発表年月日 | 2018/09/22 |
発表テーマ | "Манж го улсын хаан Пү И Монгол угсаатантай ураг барилцсан тухайд" |
発表学会名 | "ТАРХАН СУУРЬШСАН БУРИАДУУД МОНГОЛД" сэдэвт эрдэм шинжилгээний бага хурал |
学会区分 | 研究会・シンポジウム等 |
発表形式 | 口頭(一般) |
単独共同区分 | 単独 |
概要 | 本研究によれば、清朝を復興するには、さまざまな勢力の支持を得る必要があると認識した溥儀は頻繁に、清朝の旧臣やモンゴルの王公と交流するようになった。溥儀と婉容、文綉との結婚は、偶然の出来事ではなく、大清王朝とモンゴル貴族の通婚の継続であり、戦略的な目的を持っていたことを明らかにした。地理的に、満洲国の領土の約半分はモンゴル人が居住する地域(内モンゴル東部とフルンボイル)により構成されていたこと、満洲国時代、行政・軍事・法律・宗教などにおいて、満洲人とモンゴル人は黙契を交わしており、モンゴル人は高度の自治をも享受していたこと、満洲国の成立とその維持において、興安4省(のちの興安総省)というモンゴル地域・モンゴル人の存在が重要であったことを、指摘した。 |