ツルオカ アケミ    TSURUOKA Akemi
   鶴岡 明美
   所属
人間文化学部 歴史文化学科
 
生活機構研究科 生活文化研究専攻
   職種
教授
言語種別 日本語
発行・発表の年月 2019/10
形態種別 学術雑誌
査読 査読あり
標題 南山古梁文・谷文晁画『宮城野聚勝園記』をめぐる一考察
執筆形態 単著
掲載誌名 美術史
掲載区分国内
出版社・発行元 美術史学会
巻・号・頁 69-1(187),1-17頁
著者・共著者 鶴岡明美
概要 『宮城野聚勝園記』(以下『聚勝園記』と略、九州大学付属図書館他)は、仙台藩の儒者櫻田澹斎(1795-1864)が歌枕の地宮城野に聚勝園なる別業を設けたことを機に制作された刊本である。全15丁の折帖で、題字、文政8年(1825)の年紀を有する「宮城野聚勝園記」および漢詩7編を仙台瑞鳳寺の住職南山古梁(1756-1839)が手掛け、題字の直後には江戸後期の画家谷文晁(1763-1840)が宮城野の一隅にある別業を眺望して描く一図(以下「聚勝園図」と称す)の正面摺が収められている。澹斎による巻末の自跋(文政9年)から、刊行の目的が園への寄詠を促すことにあったことが窺える。本作品は『国書総目録』に収録されるものの、これまで考察されることなく現在に至っている。
近年東京・足立区立郷土博物館による文化財調査において「聚勝園図」の制作に関わる新資料が出現した。足立郡上沼田村在住の文晁の弟子、舩津文渕の子孫に伝わる文晁一門関連資料の調査の際、櫻田澹斎による作画依頼に係る一連の文書が発見されたのである。本発表は「聚勝園図」制作の経緯を上記新資料の分析を通じて明らかにするとともに、文人の居宅や別業を描く文晁作例の系譜における位置づけ、さらには文人美術の拡散および浸透に果たした役割についても考察を試みる。