イハラ トモアキ    IHARA Tomoaki
   井原 奉明
   所属
国際学部 英語コミュニケーション学科
 
文学研究科 英米文学専攻 博士前期課程
 
文学研究科 文学言語学専攻 博士後期課程
   職種
教授
言語種別 日本語
発行・発表の年月 2024/03
形態種別 大学・研究所等紀要
査読 査読あり
標題 <語る私>の構造および自己同一性の根拠
執筆形態 単著
掲載誌名 学苑
掲載区分国内
出版社・発行元 昭和女子大学出版会
巻・号・頁 (975),1-15頁
概要 本論文はコミュニケーションにおける主体性をテーマとする。本論文は、Benvenisteの人称代名詞論や、Heidegger、Sartre、Merleau-Pontyによる現象学的主体に関する論考、現象学を基に自己に関する考察を展開した長井真理による精神病理学の研究を基に、<語る主体>から<語る私>へと概念を展開し、その構造および自己同一性の根拠の解明を目的とする。現象学的主体は、意味志向が立ち上がるとノエシスとしてそれに参与し、意味志向の動きと一体化する。この時点では自他の区別がなく、複数の現象学的主体のノエシスが動きに参与し、一体化し得る。ある現象学的主体が意味志向を引き取り、意味志向が明確な意味に達して言語表現として具現化した際、主体は<語る主体>と「私(言表主体)」とを分離する。「私(言表主体)」は<語る主体>が生み出した表現における主語や所有格にあたる表現であり、<語る主体>から見て対象化された他としてのノエマであると同時に、分離されたノエマ的自己、<語られた私>でもある。言語行為において「私(言表主体)」を使う時、「あなた」を喚起するので、<語る主体>は語る行為によって<語る私>となる。言語表現における「私」はその都度一回的・個別的であり、それに相関する<語る私>も一回的・個別的である。<語る私>は、一回的・個別的な<私>の集積と、常に脱自するノエシスとを統一する自己同一性を持ち、不安的な均衡状態にある。<語る私>は、相関的に<あなた>を喚起し、<語られるあなた>と<聞くあなた>を生み出すだけでなく、<語られるあなたとしての私>と<聞く私>も生み出す。聞くという行為は、語ると同様、主体によって担われる。<語る私>が語る場合、<語られるあなたとしての私>というノエマ的存在と、<聞く私>というノエシス的存在が随伴する。<語る私>による語りは、語ることと語られること、語ることと聞くことが一体化している動きである。<語る私>は、「私」(<語られた私>)、<語られるあなたとしての私>、<聞く私>という複合的構造を持つ。<語る私>は自らの中にノエシスとノエマ、時間的なずれと同時的な差異を抱え込んでいるが、<語る私>が語る際にも、<語るあなた>が語る際にも、<聞く私>によってその分裂は不問とされる。また、語られた「私」と<語る私>との不一致も聞く側の主体である<聞く私>によって無視され、それによってコミュニケーションは支えられていると主張した。